fight-or-flight 闘争か逃走か

当面は、実家の事情を契機にUターン転職を決意して奮闘する内容。自分の頭の中を自分で整理するために文字にするもの。

メンタルクリニックへ行ってきた。

ふわふわ、くらくらする

先月の中旬、どうしようもなく、ふわふわくらくらする日が、たびたびあった。

帰宅後、大好きなゲーム(FF14)にログインするも、なんだか楽しめない。

「これって、うつの前兆?」

ネットで調べたら、なんだか微妙なところ。

しかも、そもそも「うつです」と診断されてしまってからでは、結構重症。

このことは、自分の家族やかつての職場でそういう疾患を持っている人を目の当たりにしていたことから認識はしていた。

 

 

精神疾患の経験

統合失調病は、自分が小さな時から伯父さんが患っていて、なんとなくどういうものかわかっていたつもりだった。

母経由で子供のころから話には聞いていた。

「近所のあいつが自分の悪口を言っている」

診断結果的に幻聴が酷かったようだ。自分が自我が芽生える前から精神病院に入院するほど重症だったようだ。

月に一回のお見舞いに何度かついて行ったことがあるが、重い扉に看護師さんの女性がカギをじゃらじゃらさせながら、開錠してもらって病室に行った記憶がある。子供だったのでひょっとしたら記憶は誤認だったかもしれない。しかし、重厚な扉の向こう側に行く感覚の記憶が今でも残っている。

ご本人とは会話をしたことは何度もあるが、その時は気の優しいおじさんで、ぽつりぽつりと、

「学校は楽しいか」「元気にしているか」「うん、そうかそうか」

と、普通に伯父さんとして笑顔で声をかけてくれるもんだから何が精神疾患なのか、実はよくわかってなかった。だた、精神病院内の物々しさと雰囲気は子供ながらに感じ取っていたように思う。単に、当時の時代では「精神病」というものが忌避されていたきらいもあったように思うのでイメージ的なバイアスがかかっていたのかもしれない。

そんな伯父さんは、自分が社会人になって数年後にひっそりと亡くなっていた。母から亡くなったことは葬儀がすべて終わった後に、電話で連絡を受けた。

東京で会社勤めをしている自分に対して恐らく、母なりの気遣いだったのだろう。

父に至っては何も語らなかった。もともと家族に対してはとても寡黙な父。父にとっては実兄である人にどのような思いを抱いていたのかは、今となってはもはや確かめようがない。

その当時の自分も、「何で知らせてくれなかったの?」などと言うことは無かった。正直なところ、立場と時代が違えば自分が伯父さんの面倒を見なければならなかったかもしれない、という打算的な思いはどこか頭の片隅にはあって、その可能性が消えたことにホッとしてしまった自分に、今はすごくぞっとする。

 

・・・その十数年後に、母も同じ、統合失調病を発症することになる。

最初の発作が起きたときには、たまたま母の弟(自分から見て叔父さん)が発見して、通院することができたそうだ。

どうも、父の職業が大工から運送業に変わったタイミングで金銭のやりくりの仕方が変わったことにとてもストレスを感じていたことがきっかけだったようだ。

もともと、ストレスを感じても、子供のころから我慢に我慢を重ねてきた母。幼少期に経済的に貧乏だったという本人談から、想像を絶する忍耐を強いられてきたのだろう。

自分が東京で暮らしていてなかなか会えなかったこともストレスだったと思われる。ただ、彼女はそういうことをストレートに言うことは、病気を発症する前はなかった。自分は薄々感じながらも、色々なことを理由に正当化して無視していた節がある。(なんという親不孝者か!)

そんな母にも、幻聴と被害妄想は、薬が切れると症状が現れる。稀に電話越しで、その場面に遭遇した事がある。

「(スーパーの)レジでおいさん(老人の男性)おばさん(老人の女性)がこっちを見て悪口をいいよるんよ…! みんながな、ばけしよるんよ!(馬鹿にする)」

 嗚咽しながら、電話の向こうで必死に訴える母。

自分は既に、症状の知識は持っていたため、正直驚きはしたが、無理に否定することもなく、肯定することもなく、感情の山が収まるまで待つことに徹した。

「ごめんな、びーびー子供みたいに泣いてな、情けないったら…」

本人も自覚はあるようだ。ただ、幻聴ないし、妄想であることまでは認識は出来ていない様子。

落ち着いたところで、さりげなく薬を飲んでいるのかどうかを確認して、飲んでいなかったみたいだったので、

「お医者さんが飲もうね、って言うなら飲もう」

と促した。決して強制はしない。忘れてしまっているようなら、忘れない方法をそっと教える。それを実施するかしないかは彼女自身の課題だ。

恐らく、本人は病気であること自体を認めたくないのだと思う。だから、薬を飲んでいるから調子が良いのに、大丈夫そうだから薬飲まなくていいよね、と思ってしまうようだ。

この問題は母本人の課題だから、「とにかく薬飲まなきゃね!」と強制しても逆効果だろう。

 

頭の中の事

アドラー心理学風に言えば、「他者の課題に土足で踏み込む」行為なのであろう。

アドラー心理学では、たとえ血のつながった家族であっても、自分以外を「他者」と定義する。単に、とても身近にいる共同体として家族は定義するのである。

この字面だけみると、何とも冷徹な人間関係に見えるかもしれないが、「他者の課題」は「自分」がコントロールできるものではない、という考えを持つことで、本当に自分ができることが見えてくると思う。

前の投稿で「嫌われる勇気」を紹介したが、その続編である「幸せになる勇気」に他者と自分の課題の分離」が非常に頻繁に出てくる。 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 まさに、ヤマアラシのジレンマを言葉にして語った一冊かと思った。

 

決意して通院

妹も職場での人間関係が原因でうつを発症して、休職する羽目になった。看護師をやっていたのだが、責任のある役職についてから、上司が悩みの種だったらしく、理事長に休んだら、と言われてやっと休んで、通院して何とか回復を図ったらしい。しかし、同じ職場に復帰を願った際に、同じ上司の元に戻る話にしかならなかったらしく、らちが明かないので、その医院は辞めて、少なくとも今よりストレスのない環境に移ることを考えているらしい。つまり転職。兄妹そろって転職しようとしているなんて、、、ね。

妹がうつで休職っていうのは自分がくらくらするちょっと前の話。

自分自身も失敗続きで、かつ、自社からの新規事業の進捗のプレッシャーが半端ない矢先に、ふわふわ、くらくらする。好きなことも楽しめない。仕事に行くのがとても煩わしい。

「あれ?これ自分もヤバイかも?」

「自分までうつになってしまったらやばい!」

 

以前の自分だったら、きっと疑いがあるかも?という状態で受診しようという行動はとらなかったと思う。父も母も寡黙で忍耐強い人たちだったから、自分もそうやって過ごしてきた節はある。

でも、自分の置かれている立場、今後できること、潰れるわけにはいかない!という思いから、メンタルクリニックに受診した。

 

・・・受診した結果、

「不安障害」

適応障害

と、医師からは言われた。

・・・

といっても、言葉ほど重篤なモノではなく、「あえて言うなら」という感じだった。

とにかく、精神疾患の観点からは、「睡眠がとれているかどうか」がキーということだった。

まだ今の時点では、たまに断続的に2時間、1時間で小刻みに目覚める日があることは伝えた。医師曰く、ずっと寝れない、とかで崩れるとかじゃなければ、まだうつというほどではない、ということ。

「しかし、あなたのいろんな今の大変な状況からすると、うつになってもおかしくないですね、一歩手前という状況かもしれませんから、お守り代わりにお薬は出しておきますか?」

とは言われた。

お薬の値段自体はとても安くて、10錠で380円だったので、なら一応もらっておきます、ということで薬をもらうことにした。

 

医師が強調していたのは、

「その"くらくら"は本当にそれらのストレスからきていることかどうかはわからないから、続くようなら内科に行くように」

と言われた。また、勧められた抗不安薬は内科でも出してくれることもあるそうだ。

確かにそういう可能性は無きにしも非ずなので、気を付けておく必要はあるだろう。

 

受診していろいろわかったことから、一気に何か次に進めた気がした。具合が悪ければ薬を飲んでぐっすり寝ればよい、という対策がわかるだけでこんなに気持ち的に楽になれるものなのか、とも思った。

 

今まで楽しめてたことが楽しめなくなったり、無気力になりかけているようなら、言葉にうまく出せなくても、うつになる前に是非ともメンタルクリニック心療内科に受診した方が良いと思った。

自身の状態が上手くラベリングされるだけで、余計な不安や緊張から思っている以上に解き放たれる。

電話で予約を取った時点が正直一番辛くて、すぐにでも診てもらいたい気持だったが、自分の予定と診察予約日の折り合いがつかなくて、2週間後になってしまった。

実はクリニック予約後に、今の会社の退職がトントンと決まって、一つは重荷が無くなったことで非常に気分が軽くなっていた。

「もう、受診しなくてもいいかな?」

とも思ったけれども、今後転職をするにあたって、新たな不安が出てくることは避けられないと思い、めんどくさがりの自分を払拭して、予約通り受診することにした。

結果的に、自身がもともと持っていた知識+専門家の見解が合わさって、非常に強力に不安を解消することができた。

初診だったので3000円だったが、とても安いものだ、と思えた。

 

メンタル的に辛いと思った際に、専門家の見解を聞くのは非常に有効だと思うので、精神的心の貯金が無くなってしまって、かつ、辛い目に遭っている場合は、うつになる前に受診することをお勧めする。

医師の態度が、まぁ、たいしたことないんじゃないの、みたいなリアクションであったとしても、たいしたことない、という結果が得られるわけだから良しとしよう。

うつになってしまってから立ち直るのは、本当に他人が見ているよりも本人がとてもつらい目にあうことになるのだから、どんなに批判や非難を受けようが、自分自身を守ることを最優先にしてほしい。

Fight or Flight---闘争か逃走か。耐え忍ぶことも大事な時もあるけれども、闘争か逃走かを決心することも、場合によっては大事かと思う。