fight-or-flight 闘争か逃走か

当面は、実家の事情を契機にUターン転職を決意して奮闘する内容。自分の頭の中を自分で整理するために文字にするもの。

いざ、一社目の面接へ その2

面接

1F店舗スペースを通らないとエレベータにたどり着かない、というなんだか変なつくりなビルだった。エレベータは、まぁ、、、古いかな。地方都市とはいえ、年代が経っているビルなんだろう。

スーツケースをひきながら、その会社の正面にたどり着く。

休日だというのに、煌々と明かりがついてた。自分の面接があるから、わざわざ出社してくださっているのではあるのだが。

 

内線があったので、受話器を取る…何も音がしない。よく見たら指定のボタンを押して、と指示が貼ってあったので、気を取り直して、もう一度。呼び出し音が鳴り、若い男性の声がした。

「さぁ、いよいよだな」

と、ハラを決めていつもの仕事モードの自分にスイッチした。

とても若い方が出てきた。

HPで見かけた人ではないことから、メールでやり取りしてた方(採用担当者 兼 社長)ではないな、と思った。

笑顔であいさつを交わす。

「初めまして、○○と申します。宜しくお願いします。」

小さな会議室に通されて、お待ちください、とのことだった。書類をスーツケースに方に入れてしまっていたので、いなくなったのを見計らって、素早く書類を取り出した。(笑)

程なくして、お二方で入ってこられた。

挨拶をかわし、名刺(個人としてなんで自分は名刺持ってないけど)を受け取って、着席。職務経歴書と履歴書を先方分と自分に分けて配って、さぁ、いざ面接開始。

 

 

・・・と言っても、履歴書の最初の方の自分の経験、若かりし頃にアルバイトでゲームプログラマをやった話題になったとき、つい最近、先方はゲーム会社とのやり取りがあってそこでの仕事に対する彼らの取り組み方や姿勢について、なんだか熱く語り合うことになった。

あと、自分の経歴では若手メンバを配置して、メンバの育成や心構え的なところの話でも食いついてきた。叱責しなくても、人を動かすことができること、怒りのコントロールの話のこと、個々で自身のパフォーマンスを出すことではなく、チームでどうやってパフォーマンスを出していくかに、自分自身は念頭に置いていて、現在も勉強中であること、、、等々、結局、履歴書や職務経歴書の記載はそこそこに、結構熱い語らい合いというか意気投合してしまった。

 

・・・面接の予定時間は確か1時間だったかと思うが、なんだかんだでで1時間半が経過していた。

会社説明もしてもらったが、向いてるベクトルは同じと感じた。これからの会社さんなので、体力的な不安はどうしてもあるが、向いてるベクトルが同じであることはとても大事だと思う。

---チームで力を発揮する

昔からよく言われていることだ。部活動なんかをやっていれば、顧問や監督から散々言われてきたことだろう。ただ、言われてはいたが、具体的にどうやればチームで力が発揮できるのかは、言われていなかったような気がする… うーん、いや、言われていたのかもしれないが、怒声や叱責、厳しい言葉を浴びせられていて、その言葉と態度をまともに受け取ってしまったため、しみ込んでなかっただけなのかもしれない。

 

自分は中学、高校とバレーボールをやってきた。とても田舎な学校であるため、選べるほど部活動に種類は無く、消去法で決めた気がする。当時は、キャプテン翼スラムダンクなんかの時代だったから、本当はサッカーやバスケットボールをやりたかったように思うのだけれど、どちらも存在して無かった。

「これだから、田舎は…」

そんなあきらめモードの中、部活見学の時にバレーボールを見て、三年生の活躍とレフトからの強烈なアタックを見て、単純にすごいと思った。その人自体にも憧憬の念を抱くようになった。確か生徒会長もやってたように思う。現金なものだ。

入部してすぐ、球拾いと基礎体力作りがメインだったが、その憧れを原動力にコツコツ練習することができた。最初はレシーブやトスもへっぴり腰でままならなかったが、先輩や顧問の指導もあってか、自分自身でできると思えるようになってきた。そして、月日が流れて、いよいよアタックの練習に移ったとき。

「ネットが高い---」

小学高学年で一気に背が伸びたのだが、中1でピタッと止まった。160cmあまりで。周りからは部活もするし、もっと伸びるだろう、と言われていたが、本当にピタッと止まった。

ここで、身体的な劣等コンプレックスにまともにぶち当たる。中学生用のネットは一般のモノより低い規定になっているとはいえ、自分の身長でアタックを打ち続けるには実際辛かったし、一番最初に見たような強烈なアタックを打てるほど、思いっきり振り下ろすことができなかった。

2年生になる前に、なんとなくメンバのポジション配置が決まり始めたとき、自然と自分はセッター(2球目にトスを上げる人)に配置させられた。今にして考えてみれば、身長高低もあったのだが、自分の性格上も見極めた結果だったんだろうな、とは思う。自分が顧問の立場でもきっとそうしただろうな、と思う。

セッターはレフト、センター、ライト、ツーアタック(フェイント)、バックアタック、、、選択の幅は広い。ここに、1球目のレシーブの上がり方にもよって、当初サインで予定していたこととは状況が変わってしまうこともしばしばだ。

 センターに至っては、A、Cクイックの打ち分けもある。時間差攻撃もある。これらはあらかじめサーブの前に指のサインで決める。

そう、セッターは司令塔なのだ。

今のプロがどうしているかは知らないが、当時の自分たちがやってたバレーではセッターが予め相手には見えないように指でサインを出して、どの攻撃にするかを決めた。他のアタッカメンバは基本的にそれに従う動きをしてくれる。但し、1回目のレシーブのできによっては予定通りにいかない。セッターへうまく上げられなかった時には、セッターが動いて、クイックが無理と判断したら、レフトかライトへ。場合によっては2球目で意表を突いて返してしまうのも手だ。

 

この時の経験で、チームワークっぽいことはなんとなく頭に入っていたとは思うが、逆に司令塔としてサインひとつで基本的には予定通りに動いてくれる…予定通りに動かす=成功、予定通りに動けない=失敗というのがなんとなく身に付いてしまっていたような気がする。つまり、今自分が認識している”チームワーク”とは程遠かったように思う。なにせ、”自分がなるべく失敗しない”ための動きに必死だったから。

高校生になっても同じ部活を続けたが、努力と根性、という忍耐力はついた、と思う。しかし、チームワークについては、ついぞ、身に付いていなかったように思う。

失敗したくない自意識が過剰であったために、失敗の原因を自分自身に淡々と見ることはできていなかった。他人や環境のせいにしたか、失敗した自分をただ責めたことに終始してしまっていたように思う。つまり、冷静に反省と改善ができていなかった、、、ただ勢いに任せて、努力と根性の姿勢で突っ走っていたのかな、、、若かったなぁ(笑)

 

その辺の人と人とのかかわりあいになんとなく辟易としていたからか、大学生になったときにはサークルや部活動には入らなかった。

 

そして、上京して、プログラマのバイト、今の職業で、チームで働く機会や環境が多くなった。「子供のころ部活動でチームワークはわかっているつもり---」と思い込んでいた。しかしながら、今にして思えば、とても大きな勘違いをしていたようだ。部活動ではただ複数人数が集まって、なんとなくみんなで「勝つ」という目的の集団であっただけに思う。メンバの状況把握、問題把握・解決能力、レジリエンス、、、自然にできていたことはほとんどなかった。 

マンガでやさしくわかるレジリエンス

マンガでやさしくわかるレジリエンス

 

 

何れも ”なかったこと”、”やりすごすこと”、”蓋をすること”で逃走してきたと思う。

 

自分はチームワークについて知らなかったんだ、と最初に思い知らされたのは、「チームビルディング」について知った時だ。 

先輩社員が主催している社内ワーキンググループで、講師を募集していて、自ら応募した時の内容だった。 

この時にいろいろと衝撃を受けた。と、同時にこんなことが可能なのか?とも懐疑的であった。しかし、今の自分が持っている配下メンバのチームが、チームとして機能していないことを改めて認識すると、懐疑している場合でもなかった。

 

このことをきっかけに、対人関係に関係する書籍を心理学など含め読み漁った。今でもまだまだ読み漁り、インプットし続けている。今までインプットしてきたことを今度はきちんとアウトプットしていきたいと決意している。 

面接に手ごたえあり

チームワークをキーワードに、社長さんとはとても意気投合した。上記の知識と、しかし現実ではなかなかうまくいかないこと、それでも諦めずに続けていく意思があること、などを何も飾ることなく、自分は話したつもりだ。

 

すると、隣にいた若手の方が、質問してきた。

「自分が職場で後輩に指導した時、その後輩が明らかに納得していないときってどうしたらいいですか?」

私は少し、考えて、

「指導の際に厳しく言いましたか?であれば、納得しないと思いますよ。たとえそれが社会人や人間として正しい内容であったとしても。」

なんだか、彼は不満そうだ。自分は続けた。

「人間は感情の生き物です。言っている内容がいくら正しかったとしても、相手が蓋をしてしまったり、聞く耳を持たないような事態になってしまった時点で、そこはうまくいかないのです。正しいと思われることに従うかどうかは結局相手にしか決定権がない。そこを考えて、言動を気を付けることはとても価値があると思いますよ。コミュニケーションを丁寧に、と言うのはそういうことかと、私も最近勉強したところなんですよ。」

「はれ物に触るように扱え、とか優しくしなさい、と言うわけでもないのです。ただ、起きている事実や問題点を淡々と伝え、先輩としての解決策や選択肢は用意する。最終的にはどう行動するかは相手にゆだねるしかないのです。」

隣の社長さんもとても頷いていた。「私も普段からそういう風に言っているつもりなんだけどね(笑)」

若手の方が、

「そういうの、どうやって身に付けていくのですか?」

自分が答える。

「とにかく本を読み漁りましたね。」

社長さん

「最近、会社に置いてたそういう関係の本が無いように思うのだけど?」

「あ、それ、僕が持って帰ってます」

と、若手の方。

「なんだか、面接のはずなのに、○○さん(自分の苗字)にアドバイス頂いちゃってましたね(笑)」と社長さんがどっと笑う。

自分も若手の方もつられて、笑った。

 

と、、、そんな感じでとても自分としては楽しい気持ちになった。自身がインプットしてきた情報がダイレクトに役に立てることができそう、という環境に触れるだけで、こんなに幸福感を得られるのか、、、幸せになる勇気の片鱗に触れたような気がした。

一方で、面接の雰囲気とはかけ離れてしまった感じになったことに、ちょっと不安は覚えた。お二人はああやって合わせてくれたのかな…?と、いつものネガティブな考え方も首をもたげてきた。

---そんなこと、知る由もないし、考えても意味は無い。前に進むしかないじゃないか。

以前の自分だったら、”自分でコントロールできないこと”も気になって、ぐるぐる考えを巡らせて時間を無駄にしていたが、"自分でコントロールできないこと!”と心の中で唱えることで、打ち消した。正確には"可能性としては考えられるが、自分でコントロールできないことをこれ以上考えて仕方がない"と、"明らかに見る"、いい意味で”あきらめた”わけだ。

 

さて、面接の結果は2、3日後には出るという。思ったより早い。

 

金額提示の話になったが、正直なところ自分はこういう話が苦手だ。自身がこの辺の手加減と事情はよくわかっていないこと、現在の会社での年収は伝えた。地方での就職なので下がってしまうことは覚悟していることも伝えた。交渉として考えた場合ではとても失敗しているんじゃないかと思う。しかし、自分にはまだ交渉術を身に付けれてはいない。何れ、この辺も身には付けたいと思うが、今は身に付いていな事実がある。今自分でできる精一杯の誠意は、飾らず、正直に自分の気持ちを、ただし、相手に変に伝わらないように言葉を選ぶこと。そこに終始した。

 

程なく面接は終わり、空港へ向かい、東京へ戻った。

 

今の行動は、闘争なのか逃走なのか---

 少なくとも、今は固まりやり過ごしている(フリーズ)自分ではない。いろんな人には迷惑はかけながら、でも行動して生きていく---意図せずとも誰かしらに迷惑をかけていることはある。

ましてや、自分が選択し、行動する結果、必ず迷惑が掛かってしまうことがわかることもある。今まで、自分が必ず迷惑かけてしまう選択肢は極力避けてきたつもりだった。いわゆる波風を立ててしまう事柄を避けてきたつもりだった。しかし、これはとても傲慢だったことに気付いた。

人とかかわった時点で、迷惑をかけることは多かれ少なかれ必ず発生する。と、同時に同じ共同体を形成する上で、お互い何かしら利害関係は必ずある。存在を認めあうことで安らぎを得る、貢献感を得る、金銭的なやり取りをする、作業を分担する、利はまだまだあると思うが、こんなところか。害は、事故が起きる、非難や罵倒される、金銭的な損害を被る、怪我をさせられる、競争相手、邪魔、うるさい、うっとおしい、、、等。

どうせ害を与えてしまうから、傍若無人になれ、とか、みんないなくなっちゃえ、とかそんな二極化理論は論外だ。ぜひとも中二病時代で克服してほしい。かくいう私もいい年してこの不治の病には罹りっぱなしではあるが、二極化理論からは脱している、、、と思う。(思いたい)

 波風を立てないことがとても傲慢であることに気付いたのは、人間一人の影響力は思っているよりも大きいが、しかしながらチームや組織全体に対してのダメージはそこまででもない、と気付いたからだ。むしろ「迷惑をかけない」と言うことを言い訳にスパっと行動をせず先延ばしにしたり、見ないふりをしていたわけだ。

今直面している課題・問題を直視して、結果迷惑をかけてしまうことが分かった場合、極力その迷惑を小さくするためにはどうしたらいいか、自分は何を選択した方が良いのか、を真面目に計画し、実行していくのがよいのであろう。例え、それが失敗に終わっても、なぜ失敗したのかを淡々を振り返り、次同じような場面に出くわしたときに、同じ行動をとらないように準備ができるのだから、結果が残念でも前に進むことができる。

この考え方は出来ている人は、「いい年して今更気づいたのかよ」と思う人もいると思う。少なくとも自分は、その言葉に対して何も返す言葉は無いし、ぐぅのねも出ない。しかしながら、たくさんの人間がこれだけいる中で、対人関係に悩む人はとても多いと思う。そして、「いい年して今更気づいたのかよ」と思う人は思っている程少ないと思う。なぜならば、問題・課題解決の考え方、手順、対人関係での考え方・接し方について具体的に教わったりした人は、少なくとも日本教育の中ではいないのだから。既に体得した人は、ご自身の努力で早い段階で身に付けたか、良いコーチに恵まれていたかのどちらかだと思われる。自然に過ごしていて、そんなにストイックだったり、幸運に恵まれる人というのはとても限定的だと思う。

だから、自分と同じようにこれから身に付けなければ、と思う人が居れば、今まで習得できていなかった自分に対して恥じることは無い。面と向かって言われるとその時はとても恥ずかしい気持ちになって、その瞬間は行動を縮こまらせたり、挫けてしまう気持ちにはなるが、そのように言える人の方が少数派であることを思い出して、是非とも素直に習得する行動をとってほしいと思う。

 

さて、自分の行動の正否をくよくよ考えるのではなく、面接の結果は待つことにしますか。これから、もう1社面接を受けるところもあるし。

 

あ、ちなみに以前に記事した、非常に魅力的な会社を見つけた、と言っていたこの会社からは書類審査の結果、見送りって連絡がエージェントから来た。理由は何でも、スキルは問題ないが、合わないんじゃないかと判断したとかなんとか。よくわからない理由だった。まぁ、この会社自体は面白そうなんで、雇用関係という道は断たれたけど、オフィス見学の窓口はあるみたいだから、地元に戻ったときに落ち着いたらオフィス見学のアポとってみようと思う。人間のつながりというのはどういうところで出来上がるかわからないしね!

barudekan.hatenablog.com

 

残念。切り替えて、次行きましょうや!(ちょっとショック…)