fight-or-flight 闘争か逃走か

当面は、実家の事情を契機にUターン転職を決意して奮闘する内容。自分の頭の中を自分で整理するために文字にするもの。

現状について

 

随分と間が空いてしまった。

 

なぜ空いてしまったかというと、、、正直なところ気分的な事が大半を占めていると思う。

 

二十数年前に暮らした地での、再び生活、、、

老いてる母親との生活。

  

10月11日に、実家に戻った。

それまでは、送別会の連続。

十数年間過ごした地での別れ。

でも、たぶんきっと、近いうちに行くことはあるんじゃないかな?

何の根拠もないけれども、そんな気もしている。

 

その間に、転職活動は続く。

二次面接、三次面接、、、Skype上で面接をした。

モバイルルーターでも問題なく面接できるもんなんだと、実感した。

 

 

田舎での生活なので、車必須。

ペーパーなので、自宅の庭先で何度もバック駐車を練習。

 

幸い田舎道なので多少下手くそでも、基本を守っていれば、

なんとか前に進む運転はできるものだ。

Youtubeの動画で論理を学びなおしてみたり。

 

 

母からは、近所での人間関係、親戚の人間関係を何度も聞かされる。

若かりし昔の自分は全く聞く耳持たなかったが、今の自分はとにかく

傾聴することは得意だ。

 

昔みたいに苦痛じゃない。

これは、自分自身の変化にとても驚いている。

こっちの方向性でスキルが身に付いたのかもしれない。

 

聞き流すわけではないけれども、しかしながら話は聞く。

内容は過去の出来事で、正直なところ聞いたところで、

具体的に何かが解決したり物事が前に進むわけではない。

 

以前なら、生産性のない話、ということで聞く耳は持たなかった。

 

今は彼女と一緒にこれからどうするか?の糸口を見つけるために、

一旦遠回りに感じるような行動をとっている。

 

ここで大事なことは、それぞれの自立だ。

 

自分は自分の課題。母は母の課題。

と、課題を分離して、話の内容を整理しながら聞いていると、

なんだか自然と、静かに聞いていられる。

共感するところはして、共感や賛同できないことには、

その旨だけを伝える。反発したり、否定したり、怒ったりはしない。

 

「そういう考え方もあるんだね」

「その時はそう考えたんだね」

 

あくまで話をしている人が”感じた事実”として、受け止める。

 

いや、そんなのはおかしい。

常識的に考えておかしい。

何かの勘違いでしょ?

普通こうでしょ?

気のせいでしょ?

 

これらの言葉は徹底的に封印している。

 

それは、相手の課題に介入することになってしまうから。

 

よほどじゃない限り、介入はしない。

 

このことを決心してからは、世の中が違ってみているように感じる。

 

 

 

結局、3次面接まで行き、内定をいただいた会社に今は所属している。

 

ただ、入ってすぐに出張という目に遭っており、現在てんてこまい。

生活は激変した。