fight-or-flight 闘争か逃走か

当面は、実家の事情を契機にUターン転職を決意して奮闘する内容。自分の頭の中を自分で整理するために文字にするもの。

たぶん、今、人生の岐路に立っている。

41歳。人生初の転職活動。

今自分は人生の岐路に立っていると思う。

1998年に上京してきて、2000年に就職した会社を辞めて、いわゆるUターン転職をしようとしている。

実家に戻るのだ。ちなみに独身。

正確には実家は山奥過ぎるから実家から通えるわけじゃないけれども、それでも今よりはすぐに実家に帰れる距離のところの範囲で、転職しようとしている。

 

なぜ、この年になって、お給料もそこそこに貰って役職もそこそこの地位をもらってこれから、と言うときに会社を辞めるのか。

 

理由はいくつかあるが、二つ挙げる。

 

一番の理由は、実家の母、妹が体調がすぐれなくなってしまった、と言うのがある。

元々、母は入院するほどではないけれども精神疾患があって不安定だったのだが、妹も職場の辛さが祟ったのか、うつを発症して休職してしまった。

 

自分は都内にいるもんだから、LINEや電話で声をかけることしかできなかった。

「このままで本当にいいのか?」

頭をよぎった。 

 

 

次の理由。

今の会社にいる理由が無くなった、と思えたから。

 

今の会社で、新規事業立ち上げに関わり、いろいろとミッションがあった。

やり遂げれば、会社としても良い方向に向かうことが出来たであろうと思う。

普通に考えたら、これはとてもチャンスだ。

自分にも実績がつけることが出来ただろう。

そう、今まで以上に承認欲求を満たすことが出来たはずだ。

失敗をしても取り戻して、賞賛を得る。素直に行動できてたなら実現できてたと思う。

 

ところがここ数年、どこか乗り気じゃない自分がいた。

心理学風に言うと、会社に対して受動的攻撃をしていたのかも知れない。

 

ある日、ふと思った。

「これ、自分が目指すところだったのか?」

 

そんなとき、最近の上司の言葉が突き刺さった。

「エンジニアとしてのお前は捨てろ」

 

上司は鼓舞ないし叱咤激励のつもりだったのだろうけれども、

「ああ、もうこの会社に居場所は無いな」

数ヶ月前から常駐してる客先で、失敗を繰り返していたため、精神的に疲弊していた自分には、もう、このようにしか考えられなくなっていた。

心が折れる」というが、今回は本当に心が折れる音がした気がした。

 

 自分にとって、エンジニアとしての自分が一番誇りに思えることで、未だにそれは変わっていないし、譲れない価値観なんだと思う。

 

Fight or Flight --- 闘争か逃走か。

 

今回本気でこの言葉が何度も頭をよぎった。

 

悩んだ末に選んだのは、闘争であり、逃走でもある道。

  

会社を辞めることを決めた。現在、転職活動真っただ中。

果たして今後どのようになるのかを当面は記していきたいと思う。

 

 頭の中の事

考えてみれば、今までの人生、しっかりとした自分の意思で環境を変えようとして行動をしたことは、記憶がある範囲では初めてかもしれない。

 

親の望み

近所の人の目

恋人の望み

世の中の情勢

友人の目

同僚の目

会社の望み

顧客の望み

上司の望み

 

これらを言い訳にして、自分で決めることを放棄してた気がする。

実際にはそれらを選択・決定したのは最終的に自分自身なので、結局自分に責任はあるのだけれども、このことに気づいていなかったのだ。

いや、目的論的に解釈するのならば、気付きたくなかったのだと思う。

自分で責任を持つことに気づきたくないために、周りの決定を拾って、自分で選択したにもかかわらず、周りに迎合して、なるべく人に嫌われないようにして、心に傷を負いたくない、見返りを得ようと期待していたのだ。

 

この生き方では自分に責任が持てないから、何をやってもちょっとずつ不満があって、積もり積もる。常に周りに見返りを期待しているから。

アドラー心理学風に言うと、「他人の人生を生きる」「過度に社会に適応した人」ということになる。 

 

これらのことに気づかされたのが、数年前にベストセラーになった「嫌われる勇気」にあった。

自分はちょっと遅れてその2、3年後、ドラマ化される1年前くらいにこの本の存在を知って、手にした。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

内容は青年と哲人の会話やりとりで編纂されているが、その中で哲人と青年がアドラーの考えを"劇薬"と称する。

青年「・・・厳しい。先生の哲学はあまりにも厳しい!」

哲人「たしかに、劇薬かもしれません。」

青年「劇薬ですとも!」

というやり取りがある。

当時、自分はライフハック程度に、アドラー心理学の考え方を捉えていたため、どのように"劇薬"なのかあまりピンとこなかった。

しかし、今はその”劇薬”をしっかりとかみしめているような気がする。